「芳翠古稀心畫」の鑑賞
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5. 六月雪花信、幅 (草書)

「書海」2009年1月号より
「飛花滿地白皚々、六月樗庵香雪堆。

水漲園池恐流去、偸閑携筆雨前來。」

              芳翠山樵。(140×62p)

第五作は、「六月雪」と名付けた庭木を詠じた七絶の草書聯落作品。

落款は、芳翠山樵として、印は、引首に長方の朱文「漱雲」(新間靜邨刻)をツし、落款には小さめな白文「英」(齊白石刻)と朱文「漱雲山房主人」(松丸東魚刻)を、落款「山樵」の左に、かなり二印の間を離してツしている。

作品を鑑賞する前に、詩文の説明をしておこう。

(飛花 地に滿ちて白 皚々、六月樗庵 香雪 堆し。 

水 園池に漲らば流れ去るを恐る。

閑を偸んで筆を携え雨の前に來たれ。)

私が幼い頃の樗庵の庭には、中央に小さな池と、その右奥に庵號の元になった樗の木、左奥に秋は眞っ赤に紅葉する櫨の木、右手前にこの六月雪があった。

敷地左の東角には半地下の倉庫の上に四疊半と六疊の離れ家が築かれ、谷村家五人が寢床にしていた。


その半地下を隱すように冨士山の溶岩で覆われた築山に隈笹が生い茂り、山の上に、戰前は接ぎ木されて甘い實を着けた柿の木が、同じ處に生長し、秋には澁柿を幾つかぶら下げる。西方右角に赤い實の着く青木があり、その手前には小さな紫藤の木もあったように記憶する。

芳翠先生が大作を書くときのアトリエ代わりに毛氈を敷き詰める一間幅の廊下は、離れ家増築と同時に縁側を改裝したもの。その雨戸の戸袋脇に、防火用だろうか、直徑1メートル程の土管のような水瓶が半分埋められていて、子供の頃は廊下から裸足で土管の縁を一回りして生還するのが小さな冒險で樂しかった。

裏庭は北側で門の脇に門かぶりの松ならぬ白梅が大谷石の塀越えに御影石の門柱脇から細枝をのぞかせていた。

玄關前には1メートルはある置石が据えられ、脇に小振りの楓樹が付き添う。右奥に何故か芭蕉が大きな葉を風に搖らして立つ。左には木造の大きな置物が建てられ、炭や薪が貯藏され、その前に、元は野良犬・ジュンの小屋がある。

物置の前は物干し場で、高い柱に竹竿を渡して上下二段に掛けられるようになっていた。矢筈のお化けのような道具で洗濯物をつるした竿を持ち上げる。

その竿が風で落ちて大けがをした傷跡が今でも左手にある。まだ、自宅で着物の洗い張りをしていた時代だ。大工の棟梁が「よいとまけ」の音頭で井戸を掘って、手こぎのポンプで吸い上げた冷たい水でスイカを冷やして食べた時代。薪割りをして五右衛門風呂を沸かし、煙がひどいから外で七厘に火を熾し秋刀魚を燒いた時代。

板敷きの臺所は、板を跳ね上げると糠味噌樽や醤油瓶、油缶が床下に貯藏されていた。氷屋が毎朝氷を運んで冷藏庫を冷やしていた。

懷かしさについつい餘計な話をした。芳翠先生の古稀は昭和三十七年、『古稀心畫』の出版は、東京オリンピックも終わった翌年だから、もう少し世の中が進歩?していただろう。

そんな樗庵の庭に毎年梅雨時分になると無數の小さな白い花を着ける木があって、名も知れず、芳翠先生は「六月雪」と呼んだが、果たして何の木かは知らない。一説では、芳翠先生が戰前に中國江南から持ち歸った苗木が、燒け跡に再生したともいう。確かに庭一面に雪が降ったように小さな花が敷き詰められる。

雨で流される前に筆を携えて來い、というのは繪でも描くのだろうか、詩を作るのだろうか。


さて、作品を觀て行くことにしょう。

先ず「飛花」の二字は何というデフォルメの美しさだろう。

普通「花」の字は、この草體ではあまり大きく書かないものだが、艸冠をやや外してぶら下がるように中を伸ばし、二點を低く廣げた。

「滿」は、三水を強めにやや偏旁の間を空け、「地」もやや強い筆致で偏旁の間を開いた。

「白皚々」は少し細身で小さめに連綿を活かし掠れながら「丶丶」の筆を連ねた。「六」で墨繼ぎをしながらも細身の線で下の二點を開き、右の點の下に「月」をぶら下げた。

長めの月の左縱畫に強めの二點を乘せ、その筆致を承けて、下に「樗」字を置いた。

「樗」の木偏の第三筆と旁の末筆が向勢に下部を廣げながら向き合って安定している。

二行目頭の「庵」は麻垂れを大きく持ち上げて旁の「奄」は垂れにしがみつくように左寄りにぶら下がっている。これにより右の「飛」と向勢に大きな空間を作り出している。

「奄」の右を埋めるように「香」の禾の起筆は右から入り、下部を中心に戻している。だが、その下「雪」は雨冠を左に寄せ、下部を右中央に戻し、「堆」に掠れながら連綿する。

ここで稍や墨を含ませ、「水漲園」の連綿に入る。「水」は短めの縦畫を背勢に組合わせ、末筆を中央に引き入れた處から、大きく弧を描いて「漲」の三水を書き、旁「張」は小さめにして、「弓」を「三水」と向勢に、「長」を「弓」と背勢に組み合わせている。


「漲」の末筆を中央に引き入れると續いて「園」の第一筆も上の「三水」に似た弧を描かせ、筆を翻して、第二筆は大きく右回しで圓を描き、、中の「袁」部の第一筆に繋ぐ。

「袁」は下部を小さめにして圍みの下部に大きい空白を殘した。この空間は、「漲」の大きな三水と小さな「張」で出來た空間と照應している。

二行末の「池」はやや小さめに書かれ、下部を餘しているが、右「樗」の木偏、上「園」の下部、左「筆」の末筆で圍まれた空間にあって、座りよく配字されている。

三行目「恐」字はやや掠れながら右の「ロ」部を二筆にしっかり書いて「心」に移り、筆を中央に引き戻すと、ここでも「流」の三水を長い圓弧に書いて、旁も下の「漲」に類似した構えにしている。

芳翠先生の草書作品には、時々「類似の効果」とでもいう技法が用いられる。同じではないが類似したもので調和や一體感を高める効果である。

「流」の下、「去」が細長く「流」の終筆の下にぶら下がっているのは、「六」の終筆に「月」がぶら下がっているのと似る。「偸閑」で墨繼ぎをして、潤筆で二字を連綿した。「偸」の末筆から「閑」をぶら下がるように中を伸ばし、二點を低くやや廣げたところは、始めの「飛花」と類似している。

「携筆」二字は相當長く書かれている。

「携」は偏旁の間を空け、手偏は縦畫の頭を伸ばし、下部を短くした。「筆」は終筆を長く引っ張るお膳立てに、積み重なる横畫の間合いを徐々に開いている。


「雨前」は潤墨にして、しかも中の空きを絞って潰し、二字の字間も詰めて收縮させているが、次の「來」字を開放する伏線だろうか。「來」字は長い直線を強調して上部と左方を大きく伸ばしている。

曲線ばかりの草體の中にあって、突然の直線に違和感を覺えるが、そこがこの作品の見所となっている。よくよく觀ると、下方の「携」の「」、右方の「地」の「土」に直線的な「十」字が濳んでいて、違和感を緩和する働きをしている。それにしても、「來」の長い横畫は紙の左端に大きな餘白をつくることになっているが、ここで「雨前」が無駄に廣がらず、潤墨で墨量を多く書かれた効果が初めて理解できよう。

「雨前」が細い線ではいけない。かといって廣げては「來」が活きない。

落款は末行、やや空けて中心に書き入れているが、印を左にツしたのも、この左の餘白を押さえるためである。實にこの一作には、樣々な草書のテクニックが込められていることに驚くしかない。

「砂泥蓮花水孟」 「書海」2009年1月号表紙より。
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